TSU・NA・GI

●"Do Communications!" 13
〜「ママに聴いてほしいの」 子どもの感性〜


 私の長女がまだ中学生の頃のことです。
 妻が、電話相談のボランティアを目指して養成講座に通っていたのです。
 ある日、妻が帰宅すると、娘が話を聞いてほしいというのです。妻は早速、電話相談の講座で学んでいたカウンセリング的な聴き方をしなければならないと、心に決めて、娘の前に座り、「どうしたの?」と切り出したのです。娘はしゃべりはじめます。妻は相手にこころを向け、気持ちを聴こうと、うなずいたり、リピートしたり、できる限り共感的な姿勢で、娘の話に耳を傾けたというのです。
 ところが、娘は突然話を止めて、妻に言うのです。
 「私はママに聴いてほしいの!」「カウンセラーに聴いてほしいんじゃないの!」と。 妻は、このとき、養成講座の影響で、カウンセリング的な聴き方をなぞるようにして、いわば無理をした聴き方をしていたのでしょう。娘からすると、自分の母親(ママ)ではなく別人がそこにいたのです。思春期の娘の感性が、それをものの見事に嗅ぎ分けたのではないでしょうか。
 いまの親は、子どものことをしっかりと理解しよう、自分の子どもだけは問題行動を起こしてほしくないと思う一念で、カウンセリングや臨床心理の知識や技法を一生懸命学び、カウンセラーのように振舞っているのではないでしょうか。生半可に物分りのよい大人を演じてしまっているのではないでしょうか。
 子どもの感性は、生身の親の姿や生きざまを見抜く力を持っているようです。弱さも不完全さもある生身の親のあり方に接したいと願っているようにも思えるのです。
 先ほどの話の続き。「カウンセラー臭いのは、パパだけでいい」と娘が言ってたよ。

(聖マーガレット生涯教育研究所 主任研究員 長尾文雄)

TSU・NA・GI第2巻第9号(2001/1/1発行)より