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●「のじまのつぶやき」 6 〜深夜の奈良で考えたこと〜

 先日、スタッフと一緒に奈良に行って来た。奈良といっても市内ではなく、もっと南の天川村という村だ。別になにか特別なものがあるわけでもないのだが、星がきれいだと言うことで、星を見に行くことになった。しかし、その日はくもり。星は一つも見えなかった。そこで、村内にある寺を見学してきた。龍泉寺という寺だ。そこは修験道の本拠、大峰山の入り口でもあり、かなり由緒正しい寺だった。境内を見渡すと、各所に記念樹や置物があり、それぞれ「○○講」と書かれていた。
 講というと、いまではネズミ講などでしか、その名を聞くことはないが、かつては村々に伊勢講などの講があった。伊勢講というのは、伊勢まで行くことが困難だった昔、村人が少しずつお金を出し合い、くじで選ばれた村人にその資金を託し、伊勢に行くことができない村人の代わりに伊勢参りをさせるというものだ。こうしたシステムは伊勢講以外にも様々な形で村の中にあった。この講の仕組みは、現在で言えば、共同出資による相互扶助の体制であるとも言える。現在の銀行の原型でもある頼母子講などはその典型だろう。
 いま、盛んにNPO論が叫ばれている。しかし、その多くが欧米のNPO論を日本にそのまま持ち込んだものでしかない。日本には独自の文化や価値観がある。欧米とは宗教的背景も違えば、風土も、歴史的な背景も異なっている。本当に我が国に根付くようなNPO論はその違いを乗り越えるものでなければならないだろう。我が国古来の「講」や「結」「座」などの理解は、そのためのステップになるに違いない。
 深夜の奈良の境内で、そんなことを考えていた。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー代表
能 島  裕 介

TSU・NA・GI第2巻第2号(2000/5/20発行)より