震災の記憶
阪神淡路大震災から今年で24年目を迎えた
私は、その時小学校1年生で大阪府堺市に住んでいた。
幸いにも私が住んでいた地域は大きな被害はなかった。
それでも記憶にあることがある。
父が私の部屋に飛び込んできて、抱えられながら仏間に移動させられたことだ。
あの時に父が私の名前を叫んでいた声はなんとなく今も耳に残っている。
その後、私は小学校に向かったが、その日は余震が続いていたのでそのまま帰宅となった。
その日、テレビで流れていた風景はまったく日本とは思えなかった。
いたるところで火事が発生し、黒い煙が立ち上っているあの風景は未だに記憶にある。
今でこそ近さがわかるが堺市に住んでいた私にとって、神戸の出来事はなんとなく遠い地域の出来事だったように思う。
私が改めて阪神淡路大震災のことを知ったのは、21歳になった時だったように思う。
18歳からブレーンヒューマニティーで活動をしていて、副理事長になったタイミングだ。
キャンプの保護者説明会で団体の説明をするタイミングがあって、
「自分たちの団体は阪神淡路大震災を機に学習支援を始めた団体です。」と説明していた。
説明する以上きちんとしっておかないとと思い、当時の様子を調べたり、防災関係の施設に行った記憶がある。
そこからさらに10年
今、震災を契機に立ち上がった団体で働いている。
ぼくはぼくらのはじまりをきちんと理解して活動を続けていかないといけないと思う。
だからこそ今、活動している学生たちにもきちんと知って欲しい。
これが歴史上の出来事や、お父さんやお母さんが話す昔ばなしではなく、平成時代にあった現実の出来事なのだと。
松本