~わたしの震災の記憶~阪神淡路大震災から28年を迎えて

今日で阪神淡路大震災から28年が経ちました。

私たちブレーンヒューマニティーは、
当時の大学生が阪神淡路大震災で被災した子どもたちの
学習支援に取り組んだことから今の活動が続いています。

そのころとは、活動メンバーは入れ替わっていますが、
今も大学生が主体となり子どもたちを対象とした活動は続いています。

1月17日という日は、当時のメンバーにとっても、
そして今活動しているメンバーにとっても特別な日だと感じています。

ブレーンヒューマニティーのスタッフ一同と共に、
震災によって亡くなった人々とその遺族の方に対し、
深く哀悼の意を表します。

今日を迎えるにあたって、私自身もこの出来事が
人生の大きな転機であったことを深く感じています。

私は大阪府堺市に住んでいた小学1年生の時に、
その日を迎えました。

幸いにも地震による被害は大きくなかったものの、
父が私と弟が寝ている部屋に飛び込んできて、
倒れるものが少ない仏間に連れていかれたことを
今でも覚えています。

そしてなにより記憶にあるのは、
ブラウン管の中で黒煙をあげ、燃える神戸の街の映像でした。

それは6歳の私にとって別の世界のできごとのように
感じるくらい衝撃的な出来事でした。

大学生になった私は、ブレーンヒューマニティーが阪神淡路大震災を契機に
立ち上がった団体だと知らず、なんとなくこの団体でボランティア活動を始めました。
そして、活動を重ねるごとに自分が活動している団体の成り立ちを知っていきました。
しかし、それはそのころに自分にとっては、知識としては知っている、
子どもの頃に発生した、大きな地震くらいにしか捉えていませんでした。

そして就職をして1年目の年に東日本大震災が発生しました。
当時、福岡県で働いていた私は、先輩の画面が横に切り替わるガラケーに流れていた
津波の映像でその事実を知りました。

その3年後、私は職を変え、
仙台市で被災した子どもたちの教育支援をするNPOの活動に従事していました。
今思えば、その決断は今につながる大切な決断であり経験でした。

そして私は今、ブレーンヒューマニティーで代表の役割についています。

私にとって、阪神淡路大震災は幼少期の近くの地域で起きた、
強烈な出来事の1つで、多くの方が亡くなった悲しい出来事の1つでした。

しかし、社会人になった私は、なぜか東日本大震災に対して、
自分にできることはないか、自分はなぜ動いていないのかという想いを抱き、
自分が想像していた人生とは異なる一歩を踏み出す出来事となりました。

私は、2つの大きな震災を直接体験したわけではありません。

しかし、大学生の頃、ブレーンヒューマニティーに出会い、
自分が夢中で活動した団体が立ち上がったきっかけを知ったことが、
私の人生を変える1つのきっかけであったと感じています。

今、ブレーンヒューマニティーで活動しているメンバーは、
阪神淡路大震災後に生まれた大学生たちです。

彼、彼女たちは当然、当時の私と同様に、
阪神淡路大震災は、教科書に載っている過去の歴史的な出来事と
感じているかもしれません。

しかし、わたしたちはこれからもわたしたちの活動の原点を語り、
わたしは、自分が経験した記憶を伝えることを続けていきたいと思います。

それがいつか、今、ブレーンヒューマニティーで活動している
みんなの「意味あること」になればいいと願いながら

そして、過去からの学びを未来につなげるために

 

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー
理 事 長 松本 学

 

ブレーンヒューマニティーが実施している活動も是非応援お願いします!!

■にしのみやこども食堂
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