卒業生の声
2003年度卒業生インタビュー集


「ブレヒューを卒業していくみんなへ」
                                          理事長  能 島 裕 介

いろんな場面とともに、いろんな記憶がよみがえったりする。
新歓の花見で、安西に連れてこられた女の子を見て不安に思ったこと。
キャンプ中に大激論をかわし、いきなり泣き出した奴がいたこと。
深夜の事務所で、男に混ざりながら、雑魚寝していた女がいたこと。
はじめての海外ワークキャンプで、総責とけんかした俺をなだめてくれたこと。
ガチャガチャの玉がなくなって大騒ぎしたこともあったし、
パスポートを忘れて、大事件になりかけたこともあった。
俺に罵倒された奴もいたし、泣かした奴もいる。
たまたまチラシを見て、研修にきた奴もいれば、
わざわざ本を読んでブレヒューに来た奴もいる。
奈良で孤独に戦っている奴もいれば、
敢えて鳥取へ行き、自分の力を試そうとした奴もいる。
俺のコミュニケーション能力を真っ正面から否定した奴もいるし、
俺と激論をかわしながらも一歩もたじろがなかった奴もいる。
蔵戸でイベントについて深刻な話をしたこともあったし、
bar PANで馬鹿話をしたこともあった。
いろんな奴がいて、いろんなことがあった。
でも、みんなそれぞれに成長し、それぞれにたくましくなったと思う。
ブレヒューは、優しい組織ではないし、温かくもない。
俺も決していい奴じゃないし、いい顔をして好かれようとも思ってもいない。
でも、ブレヒューも、俺も、真剣にぶつかってくる奴には、常に真剣でありたいと思う。
常に一人一人が成長するための機会を提供し続けたいと思う。
ブレヒューで鍛えられたみんなはどんな場へ行っても、その価値を十分に発揮できると信じている。
どうか、それぞれの場で真剣に戦ってほしい。
どうか、自分自身でリスクを負う覚悟を持ってほしい。
どうか、社会を変えていく存在であってほしい。
どうか、常に自分の信念を持ち、自分らしくあってほしい。
決して妥協することなく、決して諦めることなく、決して投げ出さず、決して逃げない。
そんな存在であってほしい。
常に自分自身を成長させる能力を持ち、貪欲であってほしい。
尾崎は、『卒業』のなかでこう歌う。
「あと何度自分自身 卒業すれば
 本当の自分に たどりつけるだろう」
みんなの本当の卒業まで、ブレヒューも、俺も見守っている。


岡本 彩子

BHの思い出は?
どれも、楽しかったけれど、サタプロに参加していた頃から気になっていたキャンプに、4回生になって初めて参加できた事が一番印象に残っています。(はじめてのキャンプ〜ちびっこだってできるんだぞ!!〜)
たった一泊やったけど、子供たちと2日間おもいっきり遊べた事。本当に楽しかった。リーダーとしてはあかんのかもしれないけど、子供にもいろいろと助けられ、教えてもらうことが多かったです。しおりを見ると、準備から当日までの色々な事を思い出します。

在校生へひとこと。
私は、ほかの4回生ほどたくさんの企画に参加していないので、ちゃんとした事は言えないのですが、どんなことがあっても、自分の周りにいる人の存在はいつも大切にしながら、いろいろな事に挑戦してほしいです。頑張って下さい。


渡辺 真理子

きっかけは?
はじめは普通の家庭教師をやろうと、BHへ訪れました。その時にHEPを知りました。不登校の子ども達への家庭教師もやってみたいと思い研修にいくことにしました。

BHで学んだことは?
自分の限界、できなさ加減を実感しました。また、派遣先の子どもが辛い思いをしているのに何もできていないのではと無力感を感じたこともあります。

BHで得たものは?
たくさんの仲間とたくさんの思い出。

辛かったことは
特にないですね。

最後に
いろいろなことがあったけれど、たくさんの仲間ができ、活動をしはじめた時よりもBH・HEPが好きになりました。


米澤 亜維

BHで一番鮮明に覚えている思い出は?
春キャンのガチャガチャ事件 と 琵琶湖キャンプでたむたむ(※田村明敏)の下で初副責したこと

後輩たちにひとこと
BHで共に活動している仲間を大切に、がんばってください。


木下 佳美

一番の思い出は何ですか?
不登校関連事業部での講演会です。もともとは「子ども達と触れ合いたい」という気持ちでブレーンヒューマニティーの扉をたたいたのですが、「親の方の支援をしたい」と思うきっかけになりました。実際に親の方の話を聞いてお母さん達が子育てに自信をなくしていることが伝わってきました。私はお母さんのせいだけではないと思うんです。そんなお母さんに少しでもパワーを取り戻すきっかけになるような活動をしていきたいと思いました。その想いを柱に、江川さんを招いたシンポジウム、ピアワーカーの方との活動など保護者対象のイベントに力を注ぎました。

BHをやっていて学んだことは何ですか?
経営役員や不登校関連事業部員などの経験より、NPOが社会の中でどのような位置づけにあり、活動がいかに社会に結びつくのかを学びました。稼いだお金で活動をし、それが社会を動かしている。社会の一員であることを実感しました。

辛かったことは?
何度もやめたいと思いました。一番苦しかったのは学業との両立ですね。大学とBHでの活動にはさまれて、中途半端な時期もありました。しかし、しんどい状況をのりきったというか、自分の限界を決めたことで余裕がうまれました。余裕がうまれるとまわりが見えるようになりました。

後輩へ一言
活動はどこかに必ずつながるということを認識してほしいと思います。大学での児童教育とBHでの活動は全く違うものであると思っていました。でもふとしたときに理論と経験が結びつくことがあるんです。
あと、他機関との違いを意識してほしいと思います。そのためにBHだけでなく他団体等にもどんどん参加したらいいと思う。そしてまた学んだことをBHで生かせたらいいなって思いますね。いろんなところを見てほしいと思います。

他に何か言い残すことは?
私、もともとは大阪の短大に通っていたんです。そのときにね、ボランティアをやろうと思ってでもなかなかいいのが見付からなかった。「阪神間にはたくさんあって、関学とかいろんな活動してるんやな〜」ってたまたま本で見て思っていたんです。でも今はその中の一つの団体で活動している自分がいる。本当に不思議ですね。何かに導かれたのかもしれません。
あと、子どもに関わる活動がしたいとただ漠然と思っている気持ちがあってでもそれは一人では実現できないですよね。でも同じような想いを持った人がこのBHには集まっている。一緒にやっていく仲間ができた。それがとても心強いし、嬉しく思います。


辰巳 真理子

■鮮明な思い出
1番の思い出、といわれると困っちゃうけど、忘れたくても忘れられない瞬間が、いくつかある。

2001年夏 フィリピン・ドゥマゲッティにて
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担当の高校生4人は、本当にやんちゃで、フィリピン滞在初日からお酒飲んで、スタッフにこっぴどく怒られるちゃうようなやつらでした。
でも、本当に素直で、サイトの人やホストファミリーにとっても愛されるキャラでした。

日本ではいつもむすーっとしていた彼らが、本当に生き生きとした笑顔で、「おれ、フィリピン来て良かったわ!」「来さしてくれたお母ちゃんに感謝するわ!」って、伝えにきてくれた瞬間は、本当に嬉しかった。

自分の好きなように、高校生活を送っていただろう彼らが、周囲に目を向け、感謝するその姿に、あぁ、このために頑張っていたんだなぁと、思えた場面でした。


2002年夏 帰国後の関西空港にて
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ご周知のとおり、パスポート置忘れ事件により、帰国が一日延期となりました。

2学期の始業式が差し迫った8月末、保護者の方たちには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、なんて挨拶いいかわからない状態で、空港に降り立ちました。

あのときの雰囲気は、なんて言ったらいいんだろうなぁ。
20人の高校生たちが、目を輝かせながらフィリピンの様子を話すことに、ほんと救われた。

イベントの解散時に、あんなに充実した幸せな気持ちだったことは、他にない。


2003年冬 釜が崎ワークショップふりかえり研修にて
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釜が崎は、とっても色んなことを教えてくれる町だけど、それがどの程度、学びとして、高校生に伝わるかは、正直不安でした。

でも、ふりかえりの時間に、彼らの発する言葉を聴いて、ほっとした。

彼らがこれまで心を向けなかったところに、心を向けるようになったり、日々の当たり前の生活に感謝するようになったり。
社会問題がどうとか、小難しいことじゃなくて、そういう部分での変化が、ほんとうにうれしい。


■みんなへ

何のために頑張ってるのか、
誰のために頑張ってるのか、
しんどくなったら考えてみてね。

自分のため、だけじゃないと思います。

日々、支えてくれてる人たちに感謝しながら、
もっと良い活動にするにはどうしたらいいか、
頭使って動いてください。

今まで助けてくれてありがとう。
これからも、よろしくね。


塚本 沙弥香

辛かったことは?
皆とは遠い奈良で、奈良が低迷期にあって、コアですらHEPから離れようとしてたこと。

楽しかったことは?
そんな時に本部の皆に支えられたこと。普通の電話やメールしてたことで元気くなったり、私がしていることを評価してくれたり。

得たものは?
熱く語り合える、私を見ててくれる、大切な仲間。

後輩へ
今しかできないことは、今やった方がいいですよ。無理して体壊すのは良くないけど、自分のしたいと思うことに時間をかけれるのは今しかないのでね。

最後に
こんな熱い本音で語れる仲間、なかなかいないから、ここで出会った人たちと多くを語り合ってください。


藤原 諭志

一番の思い出は、はじめて参加したキャンプの、琵琶湖キャンプ。
琵琶湖キャンプで感じた、キャンプのすばらしさ。

はじめは、なにもわからなかったけど、
企画がうまく回って、リーダーと子ども達が近づいた。
解散の時、泣きながら、別れた。

大学生の僕らが、こんな事できるんだ。そう思った。
それが、ずっとここで活動を続けていく、モチベーションになった。

「虹」っていうテーマソングを、バスで覚えたんだけど、
バスの中で、歌ってない子どもがいて。
でも、そんな子どもも、お風呂の中で、リーダーやみんなで歌ってた。

それが、すごく感動した。

BHで泣いた、唯一のキャンプが、このキャンプだった。

BHには、たくさんの思い出がある。
最近は、企画長での苦労が大きくて、あんまり感動してないなぁ・・・

自分が、苦労ばっかりで、あんまり感動していない経験があるから、
後輩には、「初心を忘れない!」でほしい。


道家 真人

「BHとの出会い。それは、かけがえない人との出会い。」
 私は大学1回生の夏休みにBHを知り、HCLに参加して、大学2回生の途中までレクリエーション事業部のスキーやハイキング等に参加させていただきました。活動していた期間は短かったですが、BHで出会えた先輩方や同期の人から教えてもらったことは、たくさんありました。大学の卒業式を終えて、大学時代を振り返るとBHで出会った人と活動を共にし、学び、感じ、笑い、泣いたことが今の私の礎になっている気がしています。

人間関係に慣れないときの私に何度も飲みに誘ってくれた人、ありがとう。
真剣に想いをこめて、叱ってくれた人、ありがとう。
悩んでいるとき、解決するために一緒に考え、「気づき」と「優しさ」を伝えてくださった人、ありがとう。

大学時代の初め、人と接する感覚や組織で行動することをつかめなかった私に向き合い、一生懸命、真剣に接してくださった人たちにBHを通じて出会えました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 今、BHで活動している皆さんも学生時代は、自分や周りの様々なことで、悩み、葛藤することが出てくると思います。ただ、うまくいかない時こそ、「自分のスピード」を信じてください。回りとの速度が遅いとしても、それはきっと自分の時計の針が動く速度がそのスピードなのです。危惧、焦り、「〜すべき」思考は自分を追い込みます。社会の一般的な速度に振り回されなくてもいいときもあります。まずは先のことより目の前のことに一生懸命に取り組むこと。頑張ってください!!

最後になりましたが、BHで活動させていただき、様々なことを私に伝えてくださった
能島さん、大藤さん、長尾先生、森山さん、橋本さんをはじめとするBHで出会えた全ての人、本当にありがとうございました。


島村 佳代子

辛かったことは?
自分がスタッフとして参加したイベントはすべて企画倒れに終わったこと。意味を見出せない仕事をやらないといけな
いときも辛かった。自分だけじゃなく、みんなも嫌々仕事をしている姿を見るのも辛かった。

楽しかったことは?
HCL研修や勉強会合宿に参加しているとき。たくさんできた友達としゃべっているとき。

後輩への一言
学生の今を大切に。時間は無限じゃありません。


安田 晶子

BHでの思い出は、単一すぎて・・・
一番は、よさこいかなぁ。

BH内でも、総事内でも、特殊なイベントで。
当日に全部含んでいたと思う。
みんなに助けてもらって。

BHで異質なイベントだけど、
ここでしか、できない。

辰巳組には、おこがましくて、何にもいえない・・・
やっている方向性は違う、けど、心意気は、見習わなきゃ、って思ったし、後姿に励まされていたと思う。

1回だけ、春キャンプに参加した。
すごい、たのしかった。
辰巳組と、そのときだけ、一緒にイベントしたなぁ。

そのキャンプで、泣いたのは、申し訳ない思いで、いっぱいで・・・
その節は、千刈にガチャガチャを撒きまして、申し訳ございませんでした。

気が済むまで、企画をさせてもらったり、無茶だったけど、その企画が、子ども達に受け入れられて、たのしんでもらって。
それが、よさこいに続いていったんだと思う。

キャンプはBHの中心のイベント。
BHの精神を見れた。
こういう人がいっぱいいるところなんだ、ってその時思った。

地味に、土曜体験には参加してました。
顔見知りの子どもができたら、たのしかったし。

それは、よさこいでも一緒。
顔見知りのチーム、かなりの時間をかけて、つながっていった。
その人たちに育てられたところも、たくさん。
大学生だと、社会人と接する事も、少ない。
厳しかったり、励まされたりの付き合い。
はじめたときは、自分でも頼りなかったと思うし・・・

結局、3年、よさこい、続けたなぁ。
はじめの1年は、あんまり関わっていなかったけど・・・

後輩に対しては、自分が4年間、手一杯だったから、
伝える事を伝えられていない気がする。

後輩からも、いっぱい学ぶことがあったし、
先輩だけから学ぶんじゃなく、
下の子、同い年の子、お客さん、関わる業者。
周りの人たちから、たくさん学ぶことがあった。

4年は、短い。
いっぱいのことを吸収してほしい。
「吸収したい」と思って、はいってくる子も多いと思うし。

「これをやった」といえることを、ぜひ経験して、自信をつけてもらいたいです。


密城 教栄
私はブレヒューの活動に二年間しか参加することが出来ず、今年卒業なのかと思うととても淋しく感じています。ブレヒューという団体に関わったことにより、ただボーッと学生生活を送っているだけでは経験することのない経験をたくさんしたし、普段には感じることのない様々な思いも感じて来たような気がします。どれをとっても、私のこれからの人生にいい意味での影響を与えてくれたし、この先もそれが活かされる場面がたくさんあるでしょう。
でも、私にとってブレヒュー二年間で得たもの全ての中で、一番大きなものは仲間だと思うのです。キャンプの打ち上げで一緒に涙した友達・朝まで一緒に悩んだ友達・たわいもない話を何時間も語り合った友達、どんなことを思い出してみても、私はいつも仲間に支えられていました。その仲間は、この先永遠に私の宝物だし、いつまでも仲間でいたい。
これからもブレヒューで活動されていく後輩のみなさま(先輩もいてるね 笑)、様々な人との出会いを大切に、どんどん視野を広げてください。その中できっと素晴らしい仲間に出会えるハズですよ!では、今まで本当にありがとうございました。
See you again!


波多野 愛

ブレヒューに行くたびに出会える、新しい仲間、子どもたちの笑顔、
最高でした☆ありがとー!!!

ブレヒューの可能性は無限大☆みなさんの豊かな想像力&創造力で
これからも多くの子どもたちと笑顔を共にして下さいネ。私たちの大
好きなブレヒューをよろしく!!


三浦 一郎

BH大学を(仮)卒業するにあたって

原点

1回生の秋、通っていた大学があまりにしょうもないのでBH大学に転入した。

【ここ】は入った初日から刺激的だった。
イベント前に問題が起こったらしく沈黙の多いミーティングだった。
でも皆が本気だった。空気がピリピリしていた。前の大学のヘラヘラした空気とは正反対。
僕は緊張しっぱなしだった。

こんな空間があるんや!驚きだった。
【ここ】で間違いない。直感だった。

【ここ】のメンバーの一員になりたいと、心から思った。

それから
貪欲に喰らいついていったつもりだった。

入って4ヶ月でキャンプの総責を務めた。
マジで苦しかった。
力が圧倒的に足りていなかった。
死ぬかと思った。
(ちなみにキャンプから帰ってきたら一気に老けていた。)
何もできなかったが、
みんなが助けてくれた。

打ち上げでもらった色紙はいまでも、時々読み返す。
僕の原点だ。


意見をぶつけ合うということ

とにかく、【ここ】にもっともっと深入りしたかった。
【ここ】ははもっと奥深い、深入りすればするほど、いろんなモノがでてくる。

吉田ゼミ、田村ゼミ、田中ゼミ、川中ゼミ、能島ゼミ・・・・いろんなゼミに入りまくった。【ここ】ではゼミは入れてもらうもんじゃない、勝手に入るものだ。(以前の大学ではゼミは1つしか選べなかったが・・・)

【ここ】にはそんな制限はない。いくつでも入れる、何でも聞ける、遠慮もいらない。
ただただ自分をぶつけた。気がすむまで。事務所で無理なら、飲み屋で、飲み屋でむりならラーメン屋で、ラーメン屋でむりなら、風呂屋で、風呂屋で。何ならその人の家で。
みな受け止めてくれた。本気で返してくれた。
そんなやり取りの中で自分は一回りも二回りも大きくなったような気がする。
ただ単に意見を交換するのではない。生き方をぶつけ合う、そんな感じだった。

別にとりたてて人生について語り合うわけじゃない。
イベントの準備の1シーンであっても、本人が、“本気で取り組んでいれば”、その中での対話は生き方をぶつけ合うことになる。

1つの意見いうのは、表面的に見れば、1つの意見に過ぎない。しかしその1つの意見を支えているのは、その人の思想であったり、影響をうけた本であったり、共に過ごした人であったり、その人の生きてきた過程そのものであったりします。
(ちなみに僕はそれらを聞き出すのが面白くてたまりません。)

本気で意見をぶつけ合うというのは、それらを背負いながら、読み解きながら、尊重しながら行うものだと思っています。

ぜひ【ここ】で気のすむまで意見をぶつけ合って下さい!


最後に
これまで、BHを創ってくれた先輩達、一緒に創ってきた同輩、そして、いま創ろうとしている後輩にありがとうと言いたいです。


宮武 成光

思い出は、研修でこんなにたくさん不登校の子どものことを真剣に考えている人たちがいて日本も捨てたものじゃないなーと思った。
それにみんな生まれた所も環境も違うけど人はみんなやさしい心を持っているんだなーと思った。得た物は普段の大学生活では出会うことのないいろんなキャラの仲間(笑)

メッセージは、大学生活いろんなことがあると思うけどいろんなことから学ばさせていただいて、すべてのことに感謝できるそんな大学生活を送ってほしい。そしていつまでも誰かを大切に思う気持ちを持ち続けてほしいです。自分はそんなたいしたことはしてないけどいろいろなスタッフの人の頑張りに支えられて貴重な体験をいっぱいさせてもらいました。本当にありがとう(^^;)

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