卒業生の声 2006年度卒業生文集 大西 絵梨子 『たくさんの奇跡の積み重ねの中 出会えたものを 出会えた人を いつまでも大切にできますように わたしの心よ、強くあれ』 澤田 直見 2002年4月のHEP新人養成研修の記事。 これがわたしのBHでのはじまり。 わたしは不器用だし、自分の気持ちを伝えるのが下手です。 そんなわたしを受け入れてくれた人たち、ありがとう。 4年間ここにいたのは、たくさんの人に出会えたから。 たくさんの人と関われたから。 人と関わることはたいへんです。 でも、その中でたくさんの発見とたくさんの成長とたくさんのパワーをもらった。 特に子どもたち。 キャンプで出会った、HEPで出会った子どもたち。 一歩一歩成長していく子どもたちにどれだけ自分が元気になれたか、笑顔になれたか。 後ろ向きになることが多かったけど、時に厳しく 時に優しく 前に進むように 出会った人たちに背中をたくさんおしてもらった。 4年間しんどい思いも、悔しい思いも、悲しい思いも、情けない思いもした。 でも、それ以上に出会った人たちとたくさん笑った。 たくさんの人に出会い、支えてもらった。 BHで出会った人みんなに感謝します。 いつまでもいつまでも大切にします。 本当にありがとう☆ 「BHでまだまだ活動できるみなさんへ」 大楽 哲也 1回生の時、自分は子どもたちと触れあっていることができればそれでよかった。 2回生の時、初めて「マネジメント」というものに触れた。 考えるべき物事の規模に全くついていけない。 能力も知識もスピードも、想像力でさえも。 3回生の時、組織のリーダーになった。 小さなグループで培ってきたリーダーシップは、 年間6000万ものお金を動かし、 年間50以上のイベントを動かし、 200人を裕に超す人たちによって構成されている組織の前には、 全くといっても良いほど通用しなかった。 4回生になって、ようやく自分の活動スタイルがわかってきた。 少しずつだけど、やりたいことも見えてきた。 自分で言うのも何だが、その「やりたいこと」を実行するだけの力も付き始めていた。 しかし、その全てを成すには時すでに遅し。 自分の入る器は大きい方が良い。 自分の未熟さや力のなさを教えてくれる。 力不足である自分を感じ続けることは、 自分を腐らせないためにはとても良い。 たまに落ち込むことはあるけれど、 自分にはまだ「のびしろ」が残されていることに気づかせてくれる。 自分のようにノロノロ進んでしまう人間にとって、 BHで過ごす4年間はあまりに短かった。 もっともっと無限に時間があれば…なんてことを思うこともしばしば。 しかし、自分に与えられている時間が有限であることを知っているからこそ、 その一瞬に一所懸命になれるということも事実。 もしも後悔したくないと思うのならば、 言い訳つけて逃げないことだ。 もしも言い訳つけて逃げてしまったときには、 もう一度帰ってくる勇気を出すことだ。 自分もかつて、 名字がNから始まる誰かさんにわけわからん手紙を残し、 全ての作業を途中で放棄して事務所から帰ってしまったことがあった。 手伝って欲しかったら、 家まで迎えに来てください。 帰ってしまって正気を取り戻した頃には、 恥ずかしくてもう誰にも会いたくなかったけれど、 迎えに来てくれた名前がYから始まる誰かさんは、 「びっくりしたやんけ」 とだけ言って、もう一度僕にチャンスをくれた。 全てが終わって、やっとわかることがある。 やっぱり、BrainHumanityって、なかなか良いんじゃないか。 「私が夢中になったこと」 田島 陽子 『あなたが今までで一番夢中になったことは何ですか?』 就職する際の面接で面接官に聞かれたコトバ。 まさにBHで過ごした4年間は私が今まででこんなに夢中になれたことのない有意義で刺激的な日々でした。 私がBHと出会ったのは4月に私の友達の腕の中に入っていたビラがきっかけでした。 子ども大好きで将来子どもずっと関われる仕事を選んだ私は、BHの魅力的なビラにすぐに心を奪われました。 入ってみるとここはすごい世界…子ども達のために本気で悩んで、考えて、楽しんで、夢中になっている人がたくさん。自分の寝る時間を削って、課題する時間を削って、一生懸命になって頭をフル回転させてる。いつのまにか私もBHの先輩や、仲間と一緒に夢中になっていました。 私の思うBHの魅力は私達、ひとりひとりの可能性を最大に伸ばしてくれること。 可能な限り、やりたい事をやらせてくれ、それを実現するための勇気や覚悟や努力を学ばせてくれること。 自分の頑張って考えてきた企画が、キャンプが、実際に子ども達と一緒に経験でき、子ども達の本気の笑顔や素顔が間近に見れること。 頑張ってきた仲間としっかり振り返り、次の目標やステップがまた踏み出せること。 こんなBHに私は魅かれ、大きく成長させられたように思います。 これまでの4年間を振り返るとやっぱり側にはたくさんの仲間がいました。 そのたくさんの仲間は一緒に悩んでくれました。たくさん叱ってくれました。 悲しいことを笑いとばしてくれました。本気で一緒に笑ったり泣いたりしました。 心から応援してくれました。 みんながいてくれたからこそ、私も夢中になれました。諦めませんでした。 こんな大事な仲間やからこそ、一緒に助けあってきた仲間やからこそ、もっともっと一緒に活動したかったし、もっともっといっぱい関わりたかった。 「ほんとのありがとうは『ありがとう』じゃ足りないんだ」 きっと、今の気持ちに一番近いです。どれだけ感謝してもし尽くせないけど、わたしに関わってくれた全ての人に、4年分の感謝の気持ちをこめて… ほんまにほんまにありがとう。 「4年間の事実」 岡室 陽子 気が付けば本当に4年経とうとしている。 BHと出会うまで、人の成長ために自分の時間を費やしたと実感する機会なんて無かった。 ただ、それまでも人が好きで、人と影響し合うのが好きで、 無我夢中に動いたあとの達成感が好きで、動いていく過程が好きだった。 そして、ここに来て、生まれて始めて、成長に寄与する喜びを実感した。 その喜びに興奮し、虜になった。 振り返ってみて、私がここに来られたことは最高に幸せなことだったんたと改めて感じる。 大げさではなく、あの一枚のビラを受け取らなかったら、人生は変わってた。 今となっては、ここでこれを得てこう生きているなんて、更々限定できそうにない。 それくらい今の自分の大部分の要素が、ここでできているような気になっている。 多くの機会を頂き、多くの活動をさせてもらって今がある。 嬉涙、悔涙、怒涙、笑涙、哀涙、苦涙… 涙もろさに磨きをかけたくらい、よく泣かされた。 いろんなことがありすぎた。 行動を伴うことができない自分に腹がたって仕方なかったこと。 あほな間違い、失敗をやまほどしたこと。 迷惑かけて、ぶつかって、うちのめされたこと。 失敗が恐くて、逃げ出したこと。人任せにしたこと。 あなたがいて良かったと、感謝されたこと。 自分を誉めるのが下手で、うまくいっても自分を責めていたこと。 これ以上にないくらい嬉しい瞬間。 今があるのは支えと想いが途絶えることが無かったからだと思う。 強情のわりに、優柔不断で不器用で頭の回転が遅い。打たれ弱い自分。 無駄に強い感受性と使命感を背負って、感覚で動くことしかできなかった自分。 ちょっと自分の成長も感じられている今の自分。 全てが、原動力になっていて、これからにつながる。一生刻まれてく。 これからBHを担っていくみんなへ。 どうか、チャレンジを恐れないでほしい。 しんどいことにも、目を背けないでほしい。 誇りと責任を忘れないでほしい。 最後に、迷惑をかけても愛想をつかさず、私に付き合ってきてくれた全ての人に。 心から感謝しています。本当に、ありがとうございました。 『一生懸命について』 大澤真一 僕はほぼ毎日、寝る前に本を読む。小説やエッセイや漫画や専門書、評論などいろんなジャンルの本を読む。たいがいは一時間以上読んでいるし、どんなに睡眠不足で、眠い状況であっても活字を数分でも目で追って眠らないとなんだか落ち着かない。 ある程度の文章を毎日読み続けているにも関わらず、BHに残る後輩の皆さんに伝えたい言葉は陳腐な言葉しか思い浮かばない。僕の文章表現能力が極端に低いのか、それとも大切なことは実はとってもシンプルなことなのか、よくわからないがとりあえずこれからみなさんに陳腐な言葉を2つほど贈ります。でもやはりとても大切なことだと思います。 まずひとつめ。 『一生懸命になること』 申し訳ないくらいありきたりでよく言われることだけど忘れてはならないことだと思う。BHで3年間過ごしてきて、今自分に問いかけてみる。『自分は一生懸命だったか?』一生懸命だった時もあるし、正直な話そうじゃなかったときもあった。人間にはモチベーションというものがあるから、しょうがないのかなと一瞬思う。ただ、やはり後悔の念が圧倒的に強いし、なによりBHの場合、顧客を対象に活動しているので一生懸命じゃないと言えてしまうのはあってはならないことだ。みなさんには後悔してほしくない、それから、提供する側が一生懸命ではないようなサービスを顧客に提供してほしくない。みなさん、一生懸命活動してください。 ありきたりな表現なのでリピートいたします。 一生懸命活動してください。 そしてふたつめ。 『その一生懸命で満足、安心しないこと』 先ほど少し話したように、BHには顧客がある。僕らの活動の先には子どもや社会というものがあるのだ。 レクや不登校関連事業部のキャンプの終了後、スタッフの涙に出会うことがある。人は感動したり、努力をしたりした後に気持ちと一緒に涙が溢れてしまうのは自然なことだ。とてもいいことだと思うし、涙がでるほど頑張った自分やそのような活動をしているBHを誇りに思うべきだ。 ただ、サービスを受けている顧客(この場合、子どもとその保護者)がその涙と等しい価値をそのキャンプに感じているかはまったく別の問題なのだ。頑張ったことを評価することはとてもよいことだが、頑張ったからといってよしとせず、客観的な目でそのキャンプがどうだったか振り返るという行為は、それと同じくらい(本当は、BHではそれ以上だと思うが)大切なことなのだ。聞くところによると、昔のBHは、自分たちのキャンプが満足いかないものになってしまった場合、打ち上げをしないこともあったそうだ。先輩たちがBHの活動をするときにある意味でクールな視点も持ち合わせていたということをみなさんに知っていただきたい。打ち上げをすることは悪いということではないので誤解なきように。 これから、BHで活動していくみなさんは、一生懸命頑張って活動してほしい。でもそれで安心しないでほしいと心から思う。 僕は3年間、主に不登校関連事業部で活動してきた。そのうちの一年間は代表をし、様々な活動、思いをしてきた。伝えたいことは山ほどある。それに、上にお話したようなことはよく言われることだし、実際に何年か前の卒業文集で同じようなことを書いていた先輩がいらっしゃったような気がする。 それにも関わらず、あえてこの話をさせてもらったのは、僕は本当にほんとうに大切だと思っているからだ。だからもう一回リピートさせていただく。 これから、BHで活動していくみなさんは、一生懸命頑張って活動してほしい。でもそれで安心しないでほしいと心から思う。 最後に、BHで僕と一緒に活動してくれた全ての仲間に心から、心から感謝いたします。本当にほんとうにありがとうございました。 『すべては人と、想いです。』 雑賀 衣澄 「大学の友人達がカラオケで歌い狂い、酒に酔っているそのときに、 みんなは事務所でパソコンに向かい、始発の電車が来るのを待っていた。 友人達がテニスに汗を流し、楽しんでいるそのときに、 みんなは甲山で子ども達の背中を追いかけ、息を切らしていた。 そんな、一見、理解しがたい日々が、みんなを形作っている。(中略) 他者からの評価ではなく、自らの意思によって生きる人であってほしい。」(※参照) 去年の卒業文集に載っていた、能島さんの言葉。 私はこの言葉がものすごく好き。 「何でそんなしんどそうやのに、やめへんの?」 大学の友人はいった。 「ボランティア?えらいなぁ。」 初対面の人はいった。 「遊ぶ時間ないん?」 高校の同級生はいった。 「何をそんなにいつも忙しそうにしてるん。」 つきあう人はそういった。 「まだ続けてんの?」 家族はいった。 どう、説明したらいいのか分からずに当惑したことが多々あった。 たくさんの犠牲や他人に降りかかる負担の上で成り立っていたことも事実。 迷いや不安や苦しみの中に、逃げ出したく思ったときも確かにあった。 けれど、それ以上のものを確信していたからこそ、自分はこれでいいのだと思った。 その気持ちだけが、自分を支えていた。 「思い残すことはない」 けっしてそういえるわけではない。 けれど、BHを卒業するからといって自分の未発達な部分までストップするわけではない。 完結はしない。次のステージに持ち越しもいいだろう。無駄にはしない、絶対に。 愛しき後輩よ。 「覚悟する勇気」みんな、持っています。 「継続する力」みんな、持っています。 「支えあう仲間」みんな、持っています。 「恵まれた環境」みんな、わかっています。 「社会に向ける目」みんな、持っています。 「振り返る余裕」みんな、わかっています。 ほんと、頼もしいんです。でも、ちょっとよく分からなくなって立ち止まってしまうことがあったなら、「そもそも何のために、やっているのか」考えてみて。一見無駄に思えてくる作業でも、仕事でも、その先に確信していたものを明らかにして、自分を奮い立たして。自分を信じて。 そして、いつでも連絡しておいで。話は聞くから。卒業は卒業でしかないのだから。 異なる土俵で頑張ってきた仲間よ。 もう、いうことはありません。自分を信じて。何かに疲れても、みんながいるから。 能島さん。 BHへの感謝の気持ちは、まだ伝えるには早いかもしれません。これから気づくことも多々あるのだと思います。けれど、4年間分の感謝の気持ちだけでも伝えたい。本当に、ありがとうございました。テイクしたものは残らずギブし続けたいと思います。お体だけ、気をつけてください。 関わってきたすべての人への感謝の気持ちを胸に、卒業します。 おわり。 巴山 雄史 Special Thanks to 平坂さん、ハッシーさん、良太、能島さん、ofgさん、辰巳ねえやん、よりをさん、きよみさん、あきまささん、ハルク池内、昌子ちゃん、亜維ねえやん、一郎さん、麻衣さん、祥子、岩佐、栄美、大久保さん、絵梨子、よーへー、亜美さん、奥野、岡ちゃん、オベ、聖子、かよ、ギリチョン、リク、クッキー、栗ちゃん、ぐっち、友裕、ゆっこ、愛和、あゆみ、こや、大和、さい×2、サチ、もぢゃ、清水、じいさん、のんの、せら、そーへい、フラット、田島、谷ちゃん、大楽、常石、つん、萌、どーちん、仲かおり、芝、中西、永井ちゃん、永瀬さん、生島さん、芳野さん、なるかよ、圭史、のりちゃん、ばんちゃん、友里、裕美、こっこ、ふじけん、おかっち、あきよ、ゆかちん、Mマツ、松村、まるちゃん、丸ノ内、まろ、峯君、絢子、しん、紘、正義さん、八尾君、きょん、絵美ちゃん、菜見子、山さん、ゆうか、優希、オカムロン、よりこ、りょうちゃん、あさば、いっちゃん、あいぼん、あすこ、さおり、尚代、リリィ、タイ米、たなよし、田部、タロー、イカ京、真優、美冴、ザッキー、翔、やっすん、こだ、ごんちゃん、りえ、ちひろ、ノース、ヤナ、弘美、のりたま、ゆっぴ、ちんこ竹澤、剛健、剛伸、くりけん、元太、さやか、相馬、知実、なお、鍋野、ニフティ、ノリ、ぴぃ、愛巳、碧、めぇ、裕美子、三好さん、くきさん、松田さん、尾崎先生、ティウロンのみんな、馬場のおっちゃん、am-pm、鶴、知世、麻理、鎌ちゃん、美緒、石川、石高、上田、江見、岡部、光雲、下田、鈴木、中井、浜川、藤井さん、藤畑、山口、平田、ペルー、セブン、さとこ、にっしゃん、宇井ちゃん、ヨシ、亜希、まりお、マキシム、みつや、しょうご、なす、しゅんしゅん、ガンバ、なかもってぃ、しんちゃん、大輔、ビッキーさん、滝、衣澄ちゃん、春花・・・・・・・・・and my all friends!(書き忘れた人いるかも?ごめん! 敬適当、順不同) 永井 亨 大学に入り、国際協力やNPOの分野に興味はあったものの、 まさか自分がこどもと関わる活動をすることになんて、思いもしなかった。 ましてや卒業する直前まで関わり続けることになるなんて。 実際、最初に参加したキャンプの1日目。正直な感想は、「生きて帰れるかな・・・?」「やっぱ、自分には向いてなかったのかな・・・?」だった。 それでも、1泊2日のキャンプを終えた後、自分はもう、「次」を見据えていた。 もっとも、まさかその次のキャンプの総責をすることになるとは、思いもしなかったが。 こどもと向き合うこと。それは、過去の自分と向き合うことでもあった。 小学校時代。食べれない給食と上手く行かない人間関係で毎日学校に行くのが辛かった。 中学・高校時代。運動ができないコンプレックスを取り払うために、厳しい体育会系のクラブに入ったものの、練習についていくのがやっとで、万年補欠だった。憧れだったはずの高校生活は、自分の理想とは遠くかけ離れたもので、生活は次第に荒れていき、学校のテストでも赤点が目立つようになってきた。自分勝手な性格はどんどんエスカレートしていって、いつしか自分の周りには、友人と呼べる存在はほとんどいなくなっていった。 そして、母の死。 そのときは、大学受験直前だったおかげで、勉強で気を紛らわしていた。 そして大学。 もうここまできたら、恐れるものは何もなかった。 いろんな活動を通して、自分自身に磨きをかけたい。 そして、社会に対して働きかけて行きたい。誰かの役に立ちたい。 それが、何の親孝行もできなかった母への、せめてもの罪滅ぼしだと思っていた。 でも、その時の自分は、肩に力が入りすぎていて、あまりにも直線的過ぎて、 人への配慮も欠けていて、ただ「意地」と「見栄」が先行していた。 でも、そんな自分に転機がおとずれた。 それが、小学生低学年のこどものリーダーだった。本当に生意気で、ひねくれもの5人。でも、元気いっぱい、夢いっぱい、優しさいっぱい。そんな彼らと触れ合うなかで、自分の心の中にあった氷は、少しずつ溶けていった。そして、この組織はそれだけではなかった。このキャンプの後、高校生ワークキャンプの報告会に行ったり、釜が崎ワークショップの立ち上げに関わったり、様々な可能性があることを知る。 『こども達に、多様な価値観を、多様な選択肢を―』 なんてステキなミッションだろうと思った。自分の小・中・高と感じてきた悔しさ、憤り。選択なんて、ほとんどできなかった。周りの価値観を受け入れざるを得なかった。だからこそ 今、自分にしかできないことがある―そう決意した。その決意は、総事の局員、春のキャンプの総責を、釜が崎の副責、そして・・・BHが財務危機に陥った時に流した1通のメール―というカタチで、表現することとなった。 しかし、そのときの自分は、あまりにも未熟だった。あまりにも視野が狭かった。この時、自分の取った行動は、結果的にはいい方に転んだとしても、感情的になって行動したリスクの非常に大きなものだった。そして、そのツケが、結果的に自分の大切な人を傷つけることとなった。 それから、約1年間はほとんどBHでは活動しなかった。もう自分は、この組織にいるべきじゃない、そう思ったこともある。そして、相変わらず人とうまくやっていく、信頼関係を築く、ということができない自分に嫌気がさしていた。逃げたかった。ただ、総事の局員を引き受けた以上、何もしないわけにはいかなかった。といっても、ほとんど役には立てなかった。唯一貢献できたのは、マレーシアワークキャンプの立案と受け入れ交渉くらいだった。 そんな自分に、再び転機が訪れた。春のキャンプの誘いだ。この時、はじめて企画を作る楽しさを知り、素晴らしい仲間に恵まれ、なにがなんでもこどものためにがんばろうと思えた。自分の中に閉じ込めていた、熱いものがよみがえった。 そこでもらったたくさんの勇気で、今度はカンボジアスタディーツアーに挑戦。この前年、カンボジアで活動し、感じたこと。そして今までのいろんな経験。大学生への想い。絶対成功させられると、確信していた。まだまだ自分が未熟だと言うのは、この時も感じたが、少なくとも感情に任せて行動するといった幼稚な自分は卒業できたと思うし、『想い』をカタチにするチカラが、少しは身についたのではと思っている。 この時のメンバーとは、企画後も何度も顔を合わせた。やはり、この活動が彼/彼女らへ与えた影響は少なくなかった。本当にやって良かった、と思えるのはこれからかもしれないが、少なくとも彼/彼女らは自分らしさを見失うことなく、あの企画をあくまで1つの経験として、それぞれの視野をもっとひろげようとしているのは事実だ。 自分はと言うと、その後就活を経て、再びこどもと関わることにした。最後の1年は、どの役職にも属さず、あくまで1リーダー、1スタッフとして、こどもと関わろうと決めていた。その選択は、間違っていなかったと思う。総責の経験も、総事での経験も、こどもや後輩、本部スタッフへのアプローチの際十分に生かせたと思うから。 社会っていうのは、本当に複雑だし、平等でもないし、幸せのカタチも様々だ。 1人の力なんて、それほど大きいとも思わない。 でも、それほど小さいとも思わない。 少なくとも、自分が名前を覚えられるぐらいの人数の人に、幸せに生きる「チャンス」を与えることは、十分可能だと思う。そしてそんな志をもった人たちが集まって協力し、行動すれば、社会になんらかの変化をもたらすことはできるはずだから。 『卒業と居残りのあいだ』 渡辺 亮 卒業生のみんなへ 普段はなかなか照れくさくて言えないけれど、 改めて思うとすごく感慨深いものがあります。 仲が良いのかそうでないのか、 まとまっているのかそうでないのか、 今もって分からないけど、 そんなことはどうでもよくて 心の一番底を結んでいる絆、これを感じられる今があること。 偶然のようで必然の導きだったのだろうと思う。 それぞれの道でそれぞれが これからも輝きを放ち続けるよう祈りつつ、 そして自分もそうあり続けようと思う。 正直に言うとさびしい。 でも期待をもって、そして決意をもって見送ります。 ほんとにありがとう。 そして後輩たちへ 良くも悪くも一番先輩らしくない先輩だと思う。 それでも最近嬉しいのは 意識的にも無意識的にも 自分が伝えたかったことが みんなの成長につながるものとして 少しでも伝わっていることを確認できたこと。 今しかないこの時間。 枠にとらわれることなく 突き進んでいってほしい。 今在るものは 永遠に在るものではないけど その今、その瞬間を意識して、 「有難いもの」と感謝し、 まるはだかの心で 向き合っていってほしい。 ありのままは決して 楽しいことばかりでは ないかもしれない。 でもぶつかんなきゃ 見えない景色がきっとあるから それは見とかなきゃ損するよ。 そして振り返ると けっこういいものだったりする。 格好なんてつけなくていい。 一度決めたら絶対逃げんな!! 自分自身もこの繰り返しで ずっと生きていくつもりです。 以上。 「ブレヒューLOVE♪」 成本 佳代 私は大学2回生の時にブレヒューに出会い、1年余りの活動の中でいづみキャンプやラブキャン、サタプロ、よさこい、震災ウォークラリーなどたくさんのイベントに参加した。 その中でも最初に参加したいづみキャンプは衝撃だった。それまでも、イベントを企画することは好きだったがブレヒューのイベント企画には本当に妥協がなく、「それ、いいやん!!」と思う案でも、「じゃあこの場合は?」っていう風に子どもたちの満足いく企画作りに正解や終わりなんてないんだと感じた。 その中で、「これだけ腹を割って話せるってすごい」と感心した。それだけではなく、ブレヒューの人たちは本音言うだけじゃなく、本気で互いの話を聞いていて素の自分でいることに居心地の良さを感じていた。 私はブレヒューでたくさんの貴重な出会いや体験をして、とても有意義な時間を過ごすことができた。そして、その出会いや体験を将来に繋げることができるよう自らを磨いていきたいと思う。 みんなありがとう☆ 「卒業所感」 石井 孝洋 ブレヒューで得た多くの経験、出会いは大学生活においてとても大切な物となりました。自分がやりたいものとやらなければならないものの間で、多くの人に迷惑をかけてしまったと思います。それを支え、自由に活動させてくれたみなさんに感謝します。 多くの先輩はいいました。“継続は力なり” 自分は継続から逃げた側ですが、今となれば思います。確かに継続は大きな力となるでしょう。それは離れてみてその大きさに気付くのでしょう。選択には自由があるべきで継続も自分で決めてこそ、本当に大切なのではないかと。必要とする側とそれを提供する側が、本意に手を結んだ関係を目指したサービスをこれからの人生において、志して行きたいと思います。 多くの皆さんに感謝を込めて。 ありがとうございました。 「BHは小さな人生の物語かな」 河野 友裕 去年の6月下旬、ある本の背表紙を目にして、その瞬間はっとした。 『人生において、「成功」は約束されていない。 しかし、人生において、「成長」は約束されている。』by田坂広志 「あぁ。BHでの3年間はまさにこのことを学べたのではないだろうか。」と。 BHでの3年間、 「すべては子どもたち(保護者の方)のために、そして子どもたちに関わるBHのスタッフのために」 もちろん最初からそう思っていたわけではないが、この思いを胸に活動してきたつもりだ。 キャンプやデイイベントのスタッフ、リーダー、本部三役、レクリエーション事業部副代表etc…。 レクだけなら何でも活動し、様々な経験ができた私は、多くの人と幸運に恵まれた1人だろう。 でも、 自分が何か子どもたち(保護者の方)やBHのスタッフのためにできたことがあったのか? 恥ずかしいが、大きく胸を張って、できた!成功した!と言えるものなんてないと思う。 目に見えてできたことは片手で数えるくらいだ。 成功したものの数より、 失敗につぐ失敗。 挫折につぐ挫折。 苦労につぐ苦労。 そのことの方が圧倒的に多かった。 あまりの自分の無力さが歯がゆくて仕方なく感じる日々の方が多かった。 そんな中、本気で、 叱られたり、 鍛えられたり、 泣いたり、 落ち込んだり、 励まされたり、 誉められたり、 冗談を言ったり、 大声で共に笑ってくれたり、 自分のことのように喜んでくれたり。 そんなたくさんの愛すべき素敵なBHのみなさんに支えられたおかげで、その思いを消さずにここまで活動を続けられた。 今、BHの3年間を振り返ると、 「前より一回り大きくなって、できることが増えた自分がいる。」 それは確かに言える。 だからこれからを担うみなさんには真っ直ぐ、それぞれの思いに向かって、進んでいってほしい。 今、できないことがダメでも不幸せなのでもない。できるかもしれないのに、しないことがダメだし、不幸せなのだと思う。 たとえ1人ですることが難しく感じても、あなたが一生懸命すれば、周りには多くの支えになる仲間がいるのだから。 ・・・と言う自分も、これからも私が進む道にはたくさんの失敗、挫折、苦労に出会うと思う。 しかし、強い思いと目標を持って歩んでいこう。 より多くの人の幸せのために何かできる人になろう。 この場で言ったこと、BHでの日々を心に留めて。 最後に、こんな短い言葉で終わらせてしまうけれど、 3年間、お世話になり、本当にありがとうございました。 これからのみなさんの前途が確かに光り輝けるものであることを願って。 「やさしさ」 小山 英理子 ゆらゆら、揺れる大きな火。あの火を囲むと思い出すこと。 また、思い出した。 自分がリーダーをしたフレッシャーズのファイヤーで、 やさしさの話をしたのを憶えている。 確かあのころの私は、インドWCから帰国した余韻で満たされていて とにかくあの炎の前で夢中に話し出していた。 やさしさにはいろんな形がある。 事務所の階段を無心に駆け上がること 扉を開けるちょっぴりの勇気とあの勢い やるという決断、注がれる自分の時間 隣に、ただ隣に居るということ 聴くという姿勢 どんなささいなことも懸命に聴く姿勢 伝えたい人がいるという事実 伝わるまで伝え続ける努力 相手の可能性を見つめる眼、信じること 懸けられた今、そこにある覚悟 過去・現在・未来を背負おうとする、めいっぱいの自分 ときに待つという我慢 見える涙と見えない涙 自分以外の誰かの成長が嬉しくて嬉しくて きっとそんな喜びもやさしくて それはときに、笑いに満ちていて居心地が良く それはときに、重たくとがっていて、突き刺さったらなかなか抜けないこともあって 奥の奥まで見透かされ あまりにまっすぐにくるもんだから、ごまかしはきかなくて 相手を本当に想うなら 言わなければいけないこともあるんだと それが、相手にとってどんなにつらいことであっても そらさずに共に向き合ってみる そして、喜びも共に分かち合う 何倍も、何度でも そういう意味で この4年間はいつもやさしかった。 私は本当のやさしさを何度も知り、圧倒された。 ときにそのやさしさを受けとめられず 逃げたこともある。 でも自分の弱さに気付かされるたび そこには必ず誰かのやさしさがあった。 もちろん一方通行じゃどんなやさしさもやさしくないんだろうけど お互いが相手を想ったときに見えてくることもあるんだろう。 いつか、今この瞬間も「やさしさ」と名付ける人がいる。 やさしさは、自分が決めるもの。自分で感じ、育てるもの。 そして、また新しく誰かの心に伝わっていくもの。 ずっとじゃなくても、近くじゃなくても、気持ちがそばにある。 きっと、そうなんだろう。 私は、こんなにもやさしい人と場所に出会ってしまった。 そう、出会ってしまったんだ。 同じものを目指し、見て、聴いて、感じた人たちがここに居てくれたから、 私は、私らしくやさしくなれた。 今まで出会ったやさしさも 今そこにあるやさしさも 全てが今の私につながってる。 ありがとう。 いつだっていいよ。どんなささいなことでもいい。 伝えたいことがあるときは、「どこやー」って呼んでごらん。 あなたたちからもらったやさしさを、大事に大事にあたためて、待っているから。 「ここやー」ってね。 大久保有記 “ともに過ごした喜び” 眠れない夜は いつか去りゆき 今は充分 眠りながら ともに探したカプセルを いつまでも いつまでも 忘れない 地を枝で掻き 世界地図描き 夢を互いに 語りながら ともに眺めたサイリューム いつまでも いつまでも 輝いて 架電する時は いつも留守電 今も彼らを思いながら ともに探した留学生 これからも これからも 探してね 教える時は いつも楽しく 時には 彼らに 元気づけられ ともに学んだ 未来完了進行形 いつかまた いつかまた 使ってね 素晴らしい時は やがて去りゆき 今は別れを惜しみながら ともに過ごした喜びを いつまでも いつまでも 忘れずに 「生きて生かされ」 山本 菜見子 いろんなことのありすぎた思いがけないこの4年間を振り返って・・・ちょっぴり感傷にふけりながら、ただいま午前3時、「こんな昼夜逆転生活もBHの影響だよなぁ。」なんて苦笑いしながら、ひとりパソコンに向かい徒然なるままに書いてみることにしようかな。 子どもたちと関わることは種をまくことに似ている、と思う。 私たちがまいた種は、すぐに花を咲かすとは限らない。 でも、いつか芽を出しきれいな花を咲かせるに違いない。 いつまかれた種かすら忘れられた頃にひょっこり芽を出すかもしれないし、 直接芽を出さずとも土と化して、その子たちの心の土壌を豊かにするかもしれない。 でももしかしたら、その種はいつまでたっても、種のままかもしれない。 私たちがまいた種からだした芽が、他の芽を枯らしてしまったり、他の種が根を深くはることを妨げるかもしれない。その子たちの土壌を荒らし、「これから」までも荒らしてしまうかもしれない。 それだけの恐怖にも似た不安と重さ、 それでも、それだけの希望と可能性を信じて、感じて、 ここで活動してきた。そう思う。 無責任すぎたこともあったけれど、私には力が及ばない場面も多すぎたけれど。 何かやるたびに感じる自分の至らなさや、無力さに、 「もう、やめれば?」と問いかけたこともあったけれど。 後悔もたくさん。「次に生かせればいい。」だけでは終われなくて。 消せないから。私は次に生かすことができても、 その子にまいてしまった種は消せない。その子たちのその時間はもう二度とない。 ・・・なんて、色々考えては来た。色々やってもきた。でも、偉そうにいえることなんてないよなぁ。4年間私は、ほんとにたくさんの人たちに支えられ、たくさんのチャンスをもらって、その先にあるものを信じ、自分のできる限りを注いで必死にやってきただけだから。 自分だけのことなんかより、自分の将来なんかより、高校生たちがまず安全に帰国できることが大切だったし、子どもたちが過ごす数時間の方が大切だった。どんなに情けなくても、譲れないものがあった。理屈じゃなくて・・・なんだろうね、突き動かされてたんだよ。 自分のことばっかりだった高校生の頃、でも自分が大切にしてる自分は結局誰にも必要となんてされてない気がして、自分なんていなくてもいいんじゃないかって思ってた。自分がいなくても何にも変わんないんじゃないかって。そんな思いの中、迎えた大学生活。 でもね、こんな私にでも、 屈託のない笑顔で自分の話を懸命にしてくれる子どもたちがいた。 あったかい手でぎゅって手をにぎってくれる子どもたちがいた。 「会えてよかった」と感謝してくれる高校生たちがいた。 真っ向から向き合って怒鳴ってくれる人たちがいた。 信頼してくれる仲間たちがいた。 同じ想いのもと、時にはぶつかり、それでも共にひた走ってくれる仲間たちがいた。 ひとりひとりが自分が価値のある存在であると感じてほしい、 自分以外の他の人たちひとりひとりにも、それと同じだけの価値を感じてほしい。 根底には、そんなことを切に願いながら。それ以上の様々な想いを抱きながら。 こんな私にでも、できることがあった。 それはすごく、「生きていること」に等しかった。 こんな私でも、自分以外の誰かの何かに、なれるということ。 自分以外の誰かの成長や幸せを切に願えること。 自分以外の誰かの成長や変化、まざまざと生きるその表情、その瞬間に寄り添えたこと。 そのために、自分のできる何かにまっすぐ向かえたこと。 自分にはできないかもしれないことに立ち向かわせてくれたこと。 ふらふらしてたちっぽけな私にちゃんと社会との接点を持たせてくれたこと。 そうさせてくれるBHであったこと。 ここで、「生きて」いた私は、やっぱりここで「生かされて」いたんだと思う。 たくさんの先輩方が作り上げてきた基盤と信頼の上で、たくさんの仲間たちに支えられながら、私たちに大切なお子さんを預けてくれる保護者の方々の理解の上に、そして何より来てくれる子どもたちや、高校生たちひとりひとりに支えられながら、ここには書ききれない彼ら全てがいたから、私はここで生きることができたんだと思う。生かされていた。そう思う。 できなかったことはたくさん。でも、できたことも少しはあった。そう思える。 BHで活動することは、もうない。でもね、忘れられるわけがない。ここで培った想いや精神、力、ここで感じた幸せ、生かされてるって感覚を、貪欲なまでに抱きしめて、惜しみなく分かち合い、みんなと、子どもたちと同じ世界のどっかでこれからも生きていく。終わりじゃないからな。生きていける。生かし生かされ生き生きと…さぁて、頑張りますか。 末永 栄美 BHと私の出会いは大学2年生の初夏。子どもと遊ぶのがすごく楽しくて、何気ない気配りができるBHのスタッフといると気持ちが楽で居心地がよかった。 それから1年半、サタプロ、キャンプ、よさこい、ワークキャンプなど、様々なプロジェクトに参加させてもらった。ただ、もう、がむしゃらだった。 BHには、私にとって、新しいことがたくさんあった。書類を作ること、議事録を取ること、人前でしゃべること、力を集結させてひとつの方向に発信すること。期待してもらうこと、責任を負わせてもらえること、それに応えること。向き合ってもらえること、悪い評価してもらえること、成長していると感じられること。これほどの達成感に連帯感。全てがエネルギーになった。 素敵な人がたくさんいた。憧れる人が何人もいた。叶わない。でも近づけるかもしれない。活動を続ける理由はそんな気持ちが強かったと思う。 しかし、活動を重ねるうちに自分の悪い部分が影響力を持ってきた。 それは自分自身を不幸へと導く癖だ。もちろん意識的にではない。しかし、思い返せば、がむしゃらすぎて余裕がなく、「私が悪いんだ」「私が我慢すればいいんだ」「私が頑張ればいいんだ」と、独りよがりになっていた。多くのことを勝手に自分で背負い込んでいた。選択肢は増えたものの、選ぶ自分がいなかった。謙虚さが足りないかと思えば逆に自己を評価ができず自信が持てない。論理的に考えること、優先順位をつけること、ふりかえり、わかちあうことが全くできていなかった。PDCAサイクルという理論は知っていても、全く違うことをしている自分がいた。 成長の階段を登るはずが、そこは蟻地獄だった。周りにいる人たちにも、すごく迷惑をかけたし心配をかけてしまった。時には不快な想いをさせてしまった。 もう、急激な成長を望みすぎて、自分の首を絞めるようなことはしたくない。自分のことを大切にすることは、周りの人を大切にすることにつながる。もう、成長という言葉に騙されたくはない。 時間をかけてでも一つひとつ、着実に身につけていきたい。楽しむ気持ちや笑顔を忘れないでいたい。完全燃焼する秘訣はあまり食べないことだ。現在の私にとって、成長への第一歩はここにあると考えている。他人から見れば、後ろのほうにあるスタート地点かも知れない。しかし、私にとってはこれが、最前線である。 私は今、3年前には考えもしなかった地点で前を向いている。これはきっとBHだったから得られた気づきだと思う。プロジェクトを通して得られる病み付きになる感情たち、私はそれを諦めてはいない。私に一瞬でも向き合ってくれた人たち、私はあなたに感謝している。私が今、前を向いていられるのは、あなたが、私と向き合ってくれたおかげだ。 分かっている。これもBHで教えられたこと。感謝の気持ちは自分の態度で示すものだと。でも言わせてください。BHを築いてこられた先輩方、大切な仲間たち、ほんとうにありがとう!! 伊藤 愛子 私がBHに入ったのは1年の新歓。あっという間に時は流れ、もう卒業。この前いづみと「なんで4年も続いたんだろうね」って話してた。「やっぱ人だよね。」ってお互いうなずいた。そう、ほんとにここには良い仲間がいる。帰ってきたいと思わせる何かがあった。今回は文集を通して、私が出会った人たちに心からのメッセージを送りたいと思います。 先輩方へ、そして後輩のみんなへ 去年の卒パで先輩方のスピーチを聞いて、「同じ場所で私は来年何を語れるんだろう」「残りの時間で私に何ができるんだろう」と漠然と思った。今の自分じゃ卒業できないと思った。そして、夏にキャンプの総責をすることに決めた。自分自身が情けなくて、くやしくてどうしようもない時期があった。でも、仲間に支えられ、総責でしか得られない経験をいっぱいできた。こんなにまで後輩に想いを伝えたいと思ったことは今までなかった。私が一回の時から先輩たちの背中を見て心動かされたように、後輩の誰かが私を見て何かを感じてくれたら嬉しい。そして、熱い想いをこれから入る後輩に伝えていってくれると嬉しい。何でもいいと思う。伝えようという想いを大事にしてほしい。お世話になりました、そしてありがとう。 子どもたちへ 最近子どもたちと遊んでいて思った。私はリーダーを長くやってきてそれなりに上手にリーダーができると思ってた。でも違ったんだよね。子どもにリーダーをさせてもらってたんだなぁ〜って。子ども達に囲まれて、協力してもらってはじめて良いリーダーができる。そのことに感謝しないとね。かわいい笑顔をいっぱい見せてくれて本当にありがとう。 4回生のみんなへ 結構バラバラに活動してたよね。1月の飲み会の時に思った。みんな個性的であんまりまとまりがない。でも、一緒にいるとなぜかホッとする。 事務所に泊まったこともあったね、コンビニ何回一緒に行っただろう?時にはきまずくなって話さなくなった時もあったね、キャンプの後泣いちゃったよね。色々語ったね。みんなとの思い出がたくさんありすぎて今書いてて胸がいっぱいになります。一緒にやれて良かった。また、絶対集まろうね★ まるちゃん&いづみへ サタプロをやった1年は1番忙しかったし、いろんなことを考えた1年だった。2人には1番迷惑をかけ、1番いろんなことを話した。衝突も多かったね。でも、サタプロがもっと良くならないかをいつも考えてたよね。2人がいて本当に良かった。ありがとう。これからもよろしく。 BHで、本当に多くの人と出会い、その仲間と苦しさ・感動を分かち合うことができました。この4年間は私の宝物です。さよならは寂しいな、また遊びにいきます。ではその時まで★ あいぼんより 釜谷 厚希 2003年12月 「がんば、キャンプしよーや」 「おー、ええでー!やろやろ」 こんな軽いノリでBH生活は幕を開けた。 そのキャンプに自分でも驚くくらいのめりこみ、がむしゃらだった。 そして本当に楽しかった。 キャンプ後にメンバーが泣くキャンプを見たのは初めてだった。 衝撃を受けた。 素晴らしいことだと思った。 羨ましかった。 自分もいつかは泣くことはできるのだろうか? 自分は心のどこかで満足していないのだろうか? そんなことが気になった。 その後、キャンプにはたくさん参加した。 どのキャンプも心から楽しんだ。 しかし、泣くということはなかった。 やりたいことをやってるはずなのに。 キャンプをする度に、むしろ自分のことがわからなくなった。 自分というものを知りたい。 いつのまにか、自分探しになっていた。 しかし、いまだに自分のことはわからない。 でも、それでいい。 自分をわかってくれている人がいる。 それでいい。 自分探しはまだまだ続く。 それはたくさんの人に出会え、刺激を受けたから。 そのほとんどはキャンプがきっかけ。 キャンプよ、ありがとう。 BHよ、ありがとう。 自分らしくいれることが最高に嬉しい。 みんなほんまにありがとう。 「私と彼女」 宇井 明奈 2005年冬、HEPPERになった2年目の私は一人の女の子のところへ家庭教師として通うことになった。待ちに待った初派遣。周りのHEPPER達は新人研修を経て少しずつ派遣されはじめたり、後輩のHEPPERが入ってきているのに、私にはなかなか話が来なかった。私が入った頃はポレキャンが行われず、ポレ広という子どもと関われるイベントも無かったので辞めていく同期も多かった。でも、なんとか根気強く続け2年という月日が過ぎてやっと私もHEPPERになれた気がした。 初日、私は嬉しくて、嬉しすぎて実はあまり覚えていない。それからはコンスタントに週一回に数時間、彼女のところに約1年強通い続けた。彼女はとってもとっても恥ずかしがり屋で、自分の気持ちを表現することが苦手な女の子だった。私達は一緒に勉強したり、一緒におしゃべりしたり、一緒にポレポレキャンに行ったりして関係を築いていった。また、彼女は彼女でポレポレ広場に行ったりしながら新しい世界を経験していった。私が行きだした時、彼女は全く学校に行ってなかったけれど、学校に行くようになった。そして無事高校にも合格することができた。 2006年2月、私と彼女の学校卒業に伴って、もうあと2回で派遣が終了というときのこと。彼女は私が誕生日だったので、自家製のクッキーやチョコレートをプレゼントしてくれた。それにはメッセージカードがついていた。 自分は学校に行ってなかったけどそのおかげで色んな人と知り合えてよかったということ、 もう一度学校にもいけたということ、 4月からの私の社会人生活を激励してくれるという内容のものだった。 本当に本当に嬉しかった。 今BHで活動しているみんな、どうか、一人ひとりの子ども達との関わりを大切にしてください。 「原義」 八尾 俊介 volunteerの原義は「志願」。 自らが志し願うということ。 ボランティア活動を行うにあたって忘れてはいけないこと、それは自分がそれをやりたいかどうかだと思う。変な話、例え自分がやらなくても、誰かがその活動をやるだろう。こう書くと無責任に見えるが、やりたくない活動を行っているのであれば、やりたいと願う者に替る方がベターではないだろうか。個人的にはそう思う。 日本ではボランティアは育たないだろうと言われていたらしい。なぜならボランティアの根源は弱きを助けるという考え方、つまり騎士道の精神の流れを汲んでいるため、武士道の精神が主流な日本人には受け入れ難いからだそうだ。しかし、阪神淡路大震災をきっかけに日本でもボランティアが普及した。そして、今もなお数多くの人たちがボランティア活動に従事している。ただ、忘れてほしくないのはボランティア活動は仕事ではないということ。勿論、手を抜いて良い分けではないが、武士のように上司や会社に忠を尽くすために仕事を行う必要はない。 ボランティアとなりイベントに関わる理由は人それぞれだと思う。子どもが好きって子もいる。企画が好きって子もいる。キャンプファイヤーが好きって子もいるかもしれない。また中には、なんとなくって子もいるだろう。イベントに関わりだすきっかけはどんな理由であってもいいと思う。ただ、関わっていく中でそのイベントに対する「思い」を持ってほしい。「思い」を抱くことができれば、それは自分にとってやりたいことであり、自分の志となる。そして、そのイベントの成功を願い努力する。これがボランティア活動だと思う。 『不思議な“縁”に感謝』 藤岡 裕子 2002年春、HEP新人研修。 初めてだらけで、 ついていくのに必死、不安、イッパイイッパイでした。 しかし、そこで出会った先輩たちの真剣な姿や想いは 確実に私を刺激し、 単調になりつつあった大学生活に、新たな風を送ってくれました。 「ココで頑張ってみたいな。」と、思いました。 “縁”があったみたいです。 常に頑張ってきたとは言えないし、 このテキトーな性格(マメに見えるだけやっかい)で みんなに迷惑かけながらでしたが… でも研修受けて後4年間、私なりにBHを続けて来れて 本当に良かったなぁと思っています。 BHの他にも色んな要素のある大学生活の中で、 結果の見えにくい地道さにモチベーションがあがらなかったり イベントをするための集中した努力が時に面倒になったりも… はい。正直してました。 それでも レクで子ども達と触れ合い、 HEPで生徒と深く関わり、 そんな活動を通して仲間とつながる事が、 私にとってはとても嬉しく楽しく、 素晴らしい瞬間で、BHを続ける理由でした。 不思議な“縁”が導いてくれた 色んな人との出会いに感謝しつつ、 これからもみんなにとって BHが素敵な出会いと学びの場でありますように。 「ある男の物語」 丸本 貴之 2002年春。関学でのボランティア説明会で、ある人の熱い語りを聞いて事務所に一人向かった男がいる。 のちに数えきれないほどのイベントに参加し、一事業部の代表にもなった男である。 その男が持つのは「子ども第一主義」の精神。 子どもと関わることに、これ以上ない魅力を感じていた。 「自分達が提供するものを子ども達がどう感じ、どう思うのか。」 この考えを軸に4年間、一つの道を歩き続けた。 男はその後4年間の間に、2つの大きな山に登ることになる。 その男を大きく変える1つ目の山。それがサタデープロジェクトの実行総責任。 もっと視野を広くしなければならなかった。 もっといろんなことを考えなければならなかった。 しかしメンバーにも恵まれ、彼の中で最高の経験ができた。 大変だった時もあったが、充実した一年を過ごした。 その中で今でも心に刻んでいる、自戒を込めた教訓があった。 イベントに「でかい」も「小さい」もない。 「すごい」も「すごくない」もない。 それはやる側の人間の考えやろ。 どのイベントも参加者一人一人に影響を与えていることには変わらんやろが。 驕るな。過信すんな。 慢心すれば、そこで終わり。もっと先を目指せ。 別におまえはできるやつじゃない。まだまだ未熟なんやから。 そう自分に言い続け、男はより高みを目指した。 そして2つ目の山。レクリエーション事業部代表。この山はでかかった・・・。 もちろんやりたいことがあった。でもそれ以上に感情的な自分がいた。 「しんどい、つらい役職」と言われていた中で、逆に自分を駆り立てるものがあった。 「言うだけじゃなくて自分でやってみろよ」精神。 何よりも嫌いだった。 批評しかしないことが。行動を起こさないことが。意見を言い合わないことが。 男が思う、「レクリエーション事業部代表」というもの。 別に代表は偉いわけじゃない。レクの取締役というもんでもない。 ただ他の皆を代表させてもらっているだけの存在。 しかし、その判断に責任を負わなければならない存在でもある。いわばレクの実行総責任。 だからこそレクを一番愛し、レクのため、子どものためになるようにしなければならない。 しかし、いややはり簡単な役職ではなかった。さらに成長しなければならなかった。 日々の作業やストレスで自分が何のためにやっているのか分からなくなる時もあった。 正直、何ができたのだろう。できなかったことの方が多いかも知れなかった。 ただ、レクを一番愛し、自分の持てる力でレクを守ってきた自信はあった。 この上ないメンバーと共に歩んできた道を後悔することはなかった。 それを2年間もやることができたことは最高の誇りであり、喜びだった。 4年間、数えきれないほどのイベントに参加した。 その中で数えきれないほどの人に出会った。 今、男の思うこと。 俺は別に「子どものために」全てを捧げた訳じゃない。 自分のためにも得るものがなければ、続けられなかったと思う。 俺にとってそれは子ども達との直接の関わり。笑顔。そして彼らの成長を見ることだった。 4年間活動を精力的に続けてきたのは、やっぱりこれが一番の理由だった。 これからレクを、BHを支える人達へ。 本気で向き合って欲しい。子どもや仲間とも。 驕らず、過信せず、謙虚な姿勢で子ども達と関わっていって欲しい。 確固たる答えはないかも知れない。でも、考え続け、想い続けて欲しい。 自分達が行うことが少なからず子ども達、周りの人々に影響を与えているのだということ。 末尾となってしまいましたが、多くの先輩方や同期、そして後輩達。ありがとう。 未熟な俺と一緒に歩いてくれたイベント本部や事業部のメンバー。ありがとう。 そして最後に。これまで俺と関わってきた子ども達に。ありがとう。 |
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