TSU・NA・GI

●"Do Communications!" 9 〜SOSの共有を〜

 私はいま、不登校を繰り返す子どもを持つ親からの電話相談を受けています。「自分の息子は、このような状態で、このような行動をしています。親として、どうしたらいいでしょうか。」と、いわゆる対策を指南してほしいというのが最初の電話でした。
今までの経緯をよく聞いてみると、すでにカウンセラーや不登校専門の塾などに相談をし、できることはなんでもしてきたがもう打つ手がないのです。
 子どもの幸せを思って、父親は家族の団欒も犠牲にしてでも精一杯仕事に励み、家族を支えがんばってきた。母親も子どもに良かれと思って、道を備えてきた。なのに、どうして自分の子どもが不登校になるのかという感情が、両親の心の中に起こっているのです。
 この感情は、いらだち、悔しさ、怒り、そして無力感を含んでいます。両親はこのような感情をなかなか認めようとはしません。その前に、誰かのせいにしたり、正解はきっと専門家が与えてくれるという幻想を持ち続けようとします。
 しかし、両親が自分の中に起こっている感情を認め、困り果てて、「SOS」を発するところから、両親の協働作業がはじめられるのではないでしょうか。両親自身が、お互いを責めあうのではなく、「SOS」を共有するところから、子どもが直面している成長課題に寄り添う知恵が生まれてくるのではないかという仮説を、私は持っています。
 私の相談のスタンスは、相談者自身に焦点を当てます。この場合、電話をかけてきた母親であり、父親です。相談を続けるにあたって両親と約束をします。「私は両親に代わって息子さんの問題の解決策は持っていないこと。私にできることは、どうしていいか分からない、と困っておられるご両親のそばにいて、気持ちを聴くこと。そして、ご両親が息子さんの成長に付き合うために何か手助けができればと願っていることです。」

(聖マーガレット生涯教育研究所 主任研究員 長尾文雄)

TSU・NA・GI第2巻第5号(2000/8/20発行)より