TSU・NA・GI

●あの日を伝える意味

 今年に入って、県内各地では、阪神・淡路大震災5周年を記念して、様々な催し物が行われている。その一つである「震災対策国際総合検証報告会」において、私は「災害は、その社会の人間関係の相互作用を明らかにし、また、その社会の問題を明らかにする。そして、それらが社会現象として表出し、社会変動の契機となる。地震は決して自然現象としてだけで片付けられない。」という旨の話を聞いた。
 しかし、震災から5年が経過した今日にあって、「あの日」が過去のものとして、風化してきているのは否めない現実としてある。私自身、震災時中学2年生であったが、関学学習指導会に携わらなければ、今尚、震災直後にどのように考え、どのように動いたのかということを克明に心に刻み続けてはいなかっただろう。それは、震災が「過去のもの」になっているからであると思われる。
 震災直後、一時期ではあったが、理想的とも言える社会が自ずから形成されたと言われている。そして、同時に今ではそれが幻だったのかとも言われている。これが先に言われた、社会現象の表出であるとするならば、この事柄は今の社会の問題へのアプローチについても、人間関係の相互作用における問題へのアプローチについても、大きな指針の一つを示すものではないだろうか。だからこそ、あの日起きた事を、震災時の体験を、あの日心に灯された思いを、理想的な社会の姿を、私達は伝えていかなければならないと私は考える。
 あの日の経験をどう活かして良いのか分からない人も多くいるだろう。しかし、だからと言って何もしないままでは、経験は全く活かされない。“Act Locally!”、足元からの行動こそが、今からは必要になってくると思われる。それこそが、震災時を克明に知る私達に出来る事であって、同時に私達がしなければならないことであり、そして私達だからできることである筈だ。
 これからの社会を担っていくのが、行政、企業、そして市民という三つのセクターであるという考え方に立脚した時、それらは協働して、私達が各々の場で伝えていく震災の教訓について、有機的に結び付け、「これから」どの様に活かすのかを考えていかなければならないだろう。
 そういった中にあって、当会は何が出来るのだろうか。当会は震災以来学生主体の団体として活動してきている。その事を踏まえると、特に学生に私達の思いや経験を、自発的に且つ継続的に伝え、共有していかなければならないのではないだろうか。そして、また、そういった事柄を伝えると同時に、これからのボランティアの姿やコミュニティとの関わりについて、共に考える機会を持つべきではないだろうか。私はその様に考える。
 社会変動の契機を私達は逸してはならない。

「TSU・NA・GI」編集長 川中 大輔

TSU・NA・GI 震災5周年記念号(2000/2/1発行)より