●"Do Communications!" 12 〜「分かってくれる人がいる」ということ〜 徳島に自然スクールTOECというフリースクールがあります。五千坪の農園の自然と触れあい、一人ひとりの存在を尊重しあう中で、子どもが本来もっている生きる力、伸びる力を取り戻すことを目指しておられます。カウンセラーでもあるTOEC代表の伊勢達郎さんの子どもに対する信頼はゆるぎなく、「子どもは、そもそもやさしく、忍耐強く、創造的でのびやかな存在。子どもは大丈夫。問題は大人。大人が自分自身の事をさておいて子どものジャマをしまくっている」といった耳の痛い指摘をされています。 この夏、2週間のキャンプに、6年生のA君が参加してきました。彼は、いわゆる学級崩壊の原因と言われた子どもで、まさに多動、過反応、乱暴といったことばそのままの様子でした。他の子が持っているものを有無をいわさず取り上げるといったようなことはしょっちゅうだったそうです。スタッフはみんな、はらはらしながらA君を見守っていました。ある日、彼は火のついた棒を振り回すというとても危険な行動をし、さすがの伊勢さんも彼の腕をつかみ「何をするんや」と制しました。その時、A君はまっすぐ伊勢さんを見て、「何でいっつも僕ばっかり怒られるんや!」と叫んだそうです。TOECに来てから彼は穏やかに注意されることはありましたが、頭ごなしに怒られることはなかったはずです。伊勢さんははっとしました。彼の側に立った状況の訴えを無条件に受け止める大人が誰もいなかったのではないかということに思い至ると、胸が詰まってそれ以上何も言えず、辛うじて「そうか、いっつも君ばっかり怒られるんか。そんなんいややな」と応え、後はじっとA君と向き合っていたそうです。もちろん、その後A君の態度が激変したわけではなく、相変わらずはらはらではあったそうですが、少なくとも伊勢さんとA君の間には少し違うレベルの交流が生じたとのことです。 人には、自分のことを心からわかってくれる人が必要です。多くの人にわかってもらうにこしたことはないのですが、とりあえず一人いればいいのです。問題なのは、わかってくれる人が誰もいないということです。この1と0の差は限り無く大きいといえます。相手を丸ごと受け止めることのできる心と懐の深さを持った誰かにとっての一人でありたいと思いました。 |
(関西学院大学社会学部 専任講師 川島惠美) TSU・NA・GI第2巻第8号(2000/11/20発行)より |