TSU・NA・GI

●「のじまのつぶやき」 19 〜真夏のフィリピンで考えたこと〜

 今回は言い訳である。でも、結構まじめに考えた言い訳である。
 この夏、私は高校生フィリピンワークキャンプの引率として、20名の高校生と6名の学生スタッフとともにフィリピンに行って来た。フィリピンでは、参加者が2つのグループに分かれ、2棟の家の建設にあたった。朝から夕方まで、休憩を挟みながら参加者はブロックを積んだり、地面を掘ったりしながら、家を作っていった。
 そんななか、その事件は起きた。題して「ミキサー事件」。家の建設も終盤にさしかかった頃、2つあるグループの一つにセメントを作るためのミキサーが持ち込まれた。それまではシャベルでセメントや土を混ぜ合わせていたので、これでかなりの効率化が図られることとなった。しかし、もう一方のグループでは依然、人力でセメントを作っていた。そして、人力でセメントを作っていたグループも、セメントづくりの山場を越えた頃、もう一方のグループのメンバーが、ミキサーを運んできた。
 おそらく彼らは善意でミキサーを持ってきたのだろう。でも、それを見た何人かの参加者はそれに激しく反発して、彼らを追い返してしまった。そして、私がその扇動者として非難されることとなった。私が扇動したか、否かは今回の話題とは関係ないのだが、(もちろん扇動していないと主張しているのだが)、なぜ参加者が彼らの善意に反発したのか、そこに少し考えさせられることがあった。
 彼らの善意に反発したあるメンバーがいった。「ミキサーを持ってきたメンバーは、誇らしげだった」確かに、彼らは善意で、ミキサーを持ってきた。しかし、その受け手には、そのメッセージが伝わらなかった。むしろ、反発を招いた。もしかすると、その善意は「持たない者」に対する「持てる者」の同情や、憐れみであったのかもしれない。優位にある者が弱者を支えることは当然の義務である。しかし、それが同情や憐れみによるものであれば、それは弱者のプライドを傷つけるものとなってしまう。
 私たちのこのプログラムは、弱者と強者との間に生じるセンシティブな問題をどこまでとらえていたのだろうか。この事件はほんの小さなできごとだったが、国際貢献のあり方やボランティアの本質にまでいたる大きな課題を私たちに与えてくれた。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー代表
能 島  裕 介

TSU・NA・GI第3巻第4号(2001/12/1発行)より