●“relation”〜本会スタッフのリレーエッセイ〜 2 ある晩、ご飯を食べながら「お母さん、リクルートスーツってさぁー」と話しかけると、「今、持っているやつで十分ですよ。贅沢いいなさんな。」とすばやく返ってきた。これ以上、何を言っても意味がないなと思った私は、話題を変えた。 このとき思ったのは、母は私に対して、「この子は贅沢で、お金を使いすぎる」というフィルター、色眼鏡といってもいい、を持っているんだということである。だから私の口から「スーツ」なんて単語が出てくると、それは贅沢で、何でもほしがりすぎて、なんて考えてしまうのであろう。 このとき気づいたのは、自分が他人を見る色眼鏡がいかに大きな力を持っているかということである。ありのままの姿を見るっていうことは難しくて、意外とその色眼鏡越しに見ている。尊敬する人の意見はなんかあっているような気がして、自分が軽蔑している人の意見はくだらないように思ってしまうこと、ない?その意見が大変そうなどうではなくて、その意見を誰が言っているかで判断してしまうような場合である。そして、その色眼鏡は私たちの行動に、大きな影響力を持っている。例えば、駅で大きな荷物を持っておばあちゃんがいれば、「荷物を持ってあげましょうか」なんてのは好青年である。しかし、これが若いお姉ちゃんであれば、そんな声掛けはしないし、したとすればただのナンパのように見られてしまう。しかし、実際にはおばあちゃんは元気いっぱいで、お姉ちゃんは徹夜あけでふらふらかもしれない。つまり、行動の源は、その人をどう見るかであり、言い換えればどんな色眼鏡を持っているかということである。 対人関係にしても、家族の関係にしても、長い間に固定化されてしまった色眼鏡があるように思う。それを現実に則した正しい色眼鏡に代えることができれば、それらの関係は一層発展的で、すばらしいものになるであろう。その努力を今、私は家庭で試みている。 最後に、リレーのたすきを渡します。次は、国安さんにお願いします。 |
(ブレーンヒューマニティー副代表 森山隆一) TSU・NA・GI第2号(1999/12/20発行)より |