TSU・NA・GI

●「のじまのつぶやき」 9 〜因果の流れ〜

 こんな活動をしていると、大学時代にはボランティアの勉強をされていたのですかなどとよく聞かれる。しかし、学生時代に私が勉強していたのは法学、特に刑法学であった。卒業レポートのテーマは「因果関係の錯誤」。なかなかこの言葉だけでは理解されないのだが、たとえば誰かが人を殺そうと思ってピストルを向けると、その人は逃げ出して崖から落ちて死んだ場合のように現実ではなかなか考えにくい状況などは「因果関係」が問題となる場合なのだ。
 一般にすべての事柄は原因とそれに基づく結果がある。これを因果という。そして、ある原因の結果は、また次の結果の原因となり、原因と結果は連続していく。刑法学では、これを因果の流れという。誰かが人を殺したとき、その殺人の結果から因果の流れをさかのぼれば、当事者の出生を経て、結局は鶏が先か、卵が先かといった議論にまで発展する。私が大学時代に考えてたいのは、その因果の流れのうち、どこまでが責任(法学的な意味ではない)の範囲なのかを求めることだった。
 いま、私たちの周りにも様々な現象、すなわち結果がある。それぞれに因果の流れをさかのぼることもできるのかも知れない。しかし、その道筋は一つではない場合が圧倒的に多い。いろんな原因が重なり合い、一つの結果を生じさせている。個人的には刑法学のように一つの筋道を論理立てて考えていくことも好きなのだが、現実はそんなには簡単でないようだ。
 この前、この会が主催したシンポジウムで、講師の方がこんなことを言った。「原因を考えるのはやめましょう。いま、目の前にある現実にどう対応すれば変化していくのかを考えましょう。」大学を卒業したいま、法学よりも複雑な社会のなかで、迷いながら道を探している。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー代表
能 島  裕 介

TSU・NA・GI第2巻第5号(2000/8/20発行)より