TSU・NA・GI

●「のじまのつぶやき」 10 〜この夏、学生が流した涙について〜

 今年も夏が終わった。この夏、当会では2回のキャンプが行われた。おそらく、この夏に学生スタッフたちが流した涙の量は、これまでで最も多かったかもしれない。別に自己満足に浸っているわけではない。あの高校野球が商業主義との批判を免れないとしても、甲子園で流れる球児たちの涙は、それを見る人々に何かを訴えるのだ。
 キャンプは非日常の疑似体験の場でありながら、「生きる」という最も日常的なことについて、猛烈なリアリティーをもって迫ってくる。仲間との葛藤、意見の相違、体力の限界、悔しさと悲しみ、それを乗り越えたときの充実感や達成感、そしてそれを支えている陰の働きへの感謝。そのときどきで彼らは涙を流した。これらのことは、確かに日常でも頻繁に起こっていることでもある。しかし、キャンプという非日常のなかで彼らはひときわにそれを敏感に感じ取ったのかもしれない。
 日常では、当たり前とされていて見えない事柄が数多くある。実際には存在していながら、「見えない」が故に、「ない」と感じられていることも数多くある。見えないものを目で探すことはできない。それは、体験や経験の中で感じ取るしかないのかも知れない。
 この夏、一人一人は何を見つけたのだろうか。彼らの流した涙がそのヒントになるかも知れない。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー代表
能 島  裕 介

TSU・NA・GI第2巻第6号(2000/9/20発行)より