TSU・NA・GI

●「のじまのつぶやき」 11 〜“モラトリアム”について感じたこと〜

 先日、ある本が出版された。『モラトリアムで歩きだそう−大学時代を楽しむための17のテキスト−』(現代人文社)と題されたその本は、里谷多英(長野五輪金メダリスト)、宮本恒靖(シドニー五輪日本代表)、藤木直人(俳優)など各方面で活躍する若者17人にスポットを当てたインタビュー集である。編集者は早稲田大学や同志社大学の学生ら。なぜか、私もその17名の中の1名として記事が載っている。
 この本が面白いのは、若者が若者に向けて若者の姿を発信しようとしているところ。そして、この本のタイトル。そもそも「執行猶予」とか「支払い猶予」という意味を持つ「モラトリアム」という言葉は、これまで大学生の不安定な姿を示す言葉として、あまり積極的な意味では用いられてこなかった。しかし、この本では、若者が若者に向かって「モラトリアムで歩き出そう」と呼びかけているのである。
 今、私は130人くらいの若者と一緒に仕事をしている。確かにどこか曖昧で、ぼんやりと自分の道を探し出そうとしている。3年生の終わりともなると、就職活動を迎え、自己分析で必死にもがき苦しんでいる学生たちもいる。まさしくモラトリアムから脱却するための苦しみである。彼らはこれまでのモラトリアムな期間に何をしてきたのか振り返り始める。そして多くの学生たちは就職活動を経て、それぞれの社会へ旅立っていく。
 彼らの姿を見ていて思うことがある。執行猶予4年。それは決して甘くのんびりとした期間ではなく、迷いと苦悩、挑戦と気づきの繰り返しなのではないか。やがて、彼らはその体験の中で、義務を免れているが故に、別に負うべき義務があることを知る。彼らは親や学校、社会に甘えていることも確かだろう。ただ、彼らはその恵まれた環境のなかで、自分が社会に対して負うべき責任を探している。卵は親鳥のお腹でぬくぬくと暖められ、やがて孵化し、飛び立っていく。いま、私は学生たちが、それぞれの殻を自らの力で壊し、孵化していく姿を見守っている。
 そろそろ私たちの組織の3年生たちも騒ぎ出してきた。でも、あわてなくてもいいと思う。今から騒いでも、執行猶予の半分以上は、もうすでに終わっているのだから。別にあきらめではなく、これまでの歩みに自信と誇りを持つために・・・。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー代表
能 島  裕 介

TSU・NA・GI第2巻第7号(2000/10/20発行)より